この解像度ならばこそ
藤堂龍之介。職業、探偵。
男であれば、名刺を差し出しながら名乗ってみたい職業の上位に入るんじゃないでしょうか?
舞台は通称「琥珀館」と呼ばれている影谷邸。
その屋敷の主人「影谷恍太郎」が庭で変死しているのをその娘たちが発見。
騒ぎを聞き、現場に駆け付けた執事の龍野は、この琥珀館に警察の手が入る事を良しとせず、主人の死を「薬の誤飲の上の事故死」であるとし、秘密裏に当時駆け出しであった、「探偵・藤堂龍之介」を雇い、事件の収束を図ることとしました。
龍之介は小説家を偽り、「客人」として影谷邸に潜入、だが、その家には旧知の間柄である影谷芳明が居たのです。
「1920シリーズ」と銘打たれたこの「藤堂龍之介探偵日記」は、「和と洋」が絶妙に混じりあった時代、「大正」を舞台に、第一弾は豪華なお屋敷、続編は豪華客船の中と、一部を除いて閉鎖空間で話が展開されてゆくのが特徴です。
「閉鎖空間」ということは、犯人も常に近くに居るということで、龍之介の調査を嘲笑うかの如く第二、第三の殺人(しかも、大体の場合、容疑者か、重要参考人だ。)が行われたり、続編では龍之介本人が何者かに襲われるシーンがあったりして、プレイヤーの猜疑心をかき乱してくれます。
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続編の「黄金の羅針盤」X68000版です。 |
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こちらも名作なので、機会があれば 語ってみたいですね。 |
ゲームはオーソドックスなコマンド選択式で進行してゆきます。
X1はジョイパッド対応。 X68000版はフルマウスオペレーションとなります。
ただ、リバーヒルのアドベンチャーゲームは、(JBハロルドシリーズ等で話題となりましたが)コマンドの数がべらぼうに多いのです。
これを全ての登場人物にやっていたら、とんでもない時間が浪費されるし、面白くありません。
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「琥珀館」内には、実に多くの人間が暮らしている。 この方は後に「協力者」の一人となる家庭教師の 「早乙女」嬢。早速、龍之介の軽口にドギマギ。 心を開いていくにつれグラフィックが変化します。 |
これは、いわゆる、「コマンド総当たり」というものを数を以て制しているのです。
ただ、意地悪なハマリ(「オホーツクに消ゆ」に於けるニポポ人形とか)の様なトラップは無いので、行き詰まったら全員に再度聞き込みすれば、ゲームは進んでしまうんですどね。
ゲームは、グラフィックが素晴らしいです。
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「琥珀館」と言うだけあって、舞台となる家は全編、時が止まったかの様なセピア色。
建築様式に詳しくないので龍之介の受け売りになっちゃいますが、これがいわゆる「アールヌーヴォー」というものなのでしょうか?統一感があって素晴らしいです。
プレイしたのはX1Turbo版とX68000版。
こちらはX1turbo版。400ライン表示! Zのアナログ表示にも対応しています。 |
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こちらはX68000版です。 |
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やはり、イイですね! |
改めて当時のグラフィッツカーの方のご苦労が偲ばれます。続編の「黄金の羅針盤」は、16ビット機のみの発売ですが、「琥珀色の遺言」は、MSX2辺り迄発売していたはず。恐らく手書きと思われる当時の緻密なグラフィックは各機種ごとに起こされたものでしょうね。
そこへ昔のオルガンの様な音色のBGMが雰囲気を盛り上げます。
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自分の部屋ではJBハロルドシリーズの様に 事件の分析や、進捗が見えます。 |
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一通り館内を聞き込みした後の進捗。先は長い! |
ゲーム開始直後は執事の辰野の思惑通り事が進んでいるように見えたこの事件ですが、彼は一つミスを犯していました。それは龍之介の探偵としての才能を見誤っていた事です。
最終的にこの事件がどういう結末を迎え、「琥珀館」に居た人々がどうなっていくのか?
それは貴方自身の手でお確かめ下さい。
PS.このゲームを開発した「リバーヒルソフト」さんですが、Windowsへの移行と共に多くのソフトハウスが消滅したように、頑張ってはいたんですが、消滅してしまいました。
これで、「1920シリーズもお仕舞いか・・・。」と、アドベンチャーファンの私は寂しい思いでしたが、フィーチャーフォンのアプリで新作が次々発表され、当時持っていた機種でプレイ出来たのは、有り難かったですね。
フィーチャーフォン自体は時代の流れと供に消えつつありますが、何と最近になって、ニンテンドーSwitchで、「G-MODOEアーカイブス」として、千円ちょっとで遊ぶ事が出来るようになったのです。
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久々の新作、「瑠璃色の睡蓮」。 最初で最後?の閉鎖空間(島だが)では無い作品。 |
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画面はこんな感じ。ボリューム感は、他のシリーズと 遜色無いと感じた。 |
ただ、やはり、当時のグラフィックに迫るような新作も、遊んでみたいと思う今日、この頃なのだった。